禁煙と喫煙の間

タバコに関するあれこれ

匂いとニオイ

地下鉄のザジ」の愛好者なら、映画でガブリエルが開口一番に吐くセリフ「ドゥキピュタン」を覚えているだろう。Doukiputan とは、D'où qui pue tant であって、直訳すると「ひどく匂うのはどこから?」ということになる。生田耕作の訳では「くせえやつらだ」となっていたと思うが、直訳からもわかるように、匂いのもとは人間だけとは限らない。

タバコをやめてまず気づくのは、世の中には「ドゥキピュタン」とつぶやきたくなるような状況がいかに多いか、ということだ。どこへ行っても、なにかしらの匂いが鼻をつくのである。その匂いも、芳香よりは悪臭のほうが圧倒的に多い。

私もそのことはつくづく感じていて、あるときたまたま指定席のバスで隣に乗り合わせた男の腋臭のせいで、悶絶するほどの苦しみを味わったことがある。ドゥキピュタンどころの話ではない。匂いのもとはつい隣にいて、すずしい顔で悪臭をまき散らしているのだ。

カタカナでニオイと書けば、黙っていても悪臭だとわかる。ニコチン大魔王との戦いを制した禁煙者は、今度はニオイという強敵と闘わなくてはならないのだ。

もっとも、この過敏になった嗅覚で、もう一度タバコを味わってみたらどうか、という誘惑がないわけではない。じっさい、街を歩いていて、どこからともなく漂ってくるタバコの匂いは、ふしぎに悪臭とは感じられず、むしろ芳香の部類に属するのだ。ちょっと心が動くが、それも数秒すれば消えてしまう。文字通り、煙のようにはかない欲望なのである。